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植木文庫(解説)

1893年(明治26年)4月27日、当館に設置されたのが、ここに紹介する植木文庫である。この文庫は明治啓蒙期の政治思想家として、あまりにも著名な植木枝盛の旧蔵書である。植木枝盛についてはここに解説の要もないと思われるが、初学者のために一応略記すると、高知市中須賀に1854年(安政4年)、山内藩士植木直枝の嗣子として生れ、長じてのち、自由民権運動の有力な理論家として活躍、その著作も「自由論綱」(1883年刊)、「報国纂録」(同年刊)、「民権自由論」(1879年刊)をはじめ、新聞、雑誌に多くの論説を発表するなど、当時の言論人として指導的な役割を演じ、また、かたわら「新体詩歌自由詞林」(1887年刊)の著作もある。一方、実践面でも大いに活動し、愛国社から国会期成同盟へ、さらに自由党の結党へと、彼、植木枝盛の歩んだ道は自由民権運動とともにあったといっても過言ではないだろう。そして、遂に1891年(明治24年)第1回帝国議会が開会されてからは、衆議院議員として政界においてさらにめざましい活躍が期待されたのであったが、第2回帝国議会解散直後、すなわち1892年(明治25年)1月1日、世は新しい年を、新しい日本の興隆とともに祝福しているとき、東京の寓居で発病し、同23日、東京病院のベットの上で35才を一期としてこの世を去ったのである。

歿後1年をへて、ようやく植木家その後の方向がかたまり、"故植木氏遺児養育義損金"募金の見通しもたって、高知出身の旧友、後輩、および言論界、政界の同志・旧知の盡力によって、同じく自由民権運動に活躍した小室信介、沢辺正修を記念する文庫がある当館に、その旧蔵書が寄贈されたのである。それは高知の植木氏宅から海路神戸を経て、ついで京都の同志社まで、はるばる運ばれ、同志社では旧図書館(現有終館)の2館、閲覧室に小室・沢辺文庫とともに特殊文庫として設置され、教職員・学生の閲覧に供せられたのである。なお、高知からの運搬費3円65銭や、さらに翌年に"書籍保管文庫修繕費"として同志社に寄付された金7円は、上述"遺児養育義損金"のうちから支出されたのであった。しかしながら、この文庫が、なぜ、同志社に寄贈されたかについては不明で、上述した経緯以外には決定的な理由はなにもないようである。しかし、社会の同志社に対する関心と支持といった漠然とした理由が結局は決定的な理由といえるのではあるまいか、これはまた小室・沢辺文庫の寄贈の場合についても同じではないかと思われてならない。

この文庫の図書は明治の初期に、わが国で刊行された、政治、法律関係図書がその大部分であって、旧蔵手沢本といえるもので前回に述べた類別からすれば第1類に属するものである。もちろん、植木枝盛自身の著書もあるにはあるが、全著作が揃っているわけではない。蔵書の1・2を紹介するならば、ぺリム原著「法理論」(1883年刊)、ヒッセリングロ述「泰西国法論」(1867年刊)やルボック著「開化起源史」(1886年刊)などの翻訳書、江木衷著「法律解釈学」(1885年刊)、小野梓著「国憲汎論」(1883年刊)、渡辺修次郎著「明治時勢史」(1883年刊)などがあり、手沢本というにふさわしい"書き入れ本"も相当ある。なお、そののち、この文庫は一時、同志社政法学校図書室に移管されたこともあり、当初は806冊と記録されているが、いつのころからか一般図書のなかに混排され、現在では確実な冊数は詳らかでないが、カード式の目録が当館に保管され、これをもとにした「植木枝盛蔵書目録」が「同志社法学 第21号 昭和9年1月」に掲載されていて、それらによると凡そ500冊ばかりである。

「びぶりおてか」同志社大学図書館報2号(1968.2.1)より抜粋