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その他(和書・踏絵)

十二の石塚

明治18年6月26日に行われた同志社英学校の卒業式は、日本の近代文学史の上にも大きな意味を持つものでした。この日の卒業生はただ一人、新島先生の郷里安中から先生をしたって同志社に学び、本科5年、余科(神学科)3年のコースを終わった湯浅半月(吉郎)でした。そしてこの席上、半月自身によって朗読発表されたのが旧約聖書の士師記に取材した新体詩「十二の石塚」です。3年前東大の外山正一らによって「新体詩抄」が発表されていますが、これに対して関西での新体詩の初声であり、文学的にははるかに高いものと評価されました。半月は一旦帰郷し、すぐにアメリカへ留学しましたが、その直後の10月、新島先生の絶大な支持者でもあった兄湯浅治郎の手で「十二の石塚」は出版されました。58ページ、上下20cm足らずの小冊子で定価6銭でしたが、現在ではこのささやかな初版本が古書界の稀購書の最たるものとなっています。この本を所蔵していないと云うことは、同志社の図書館として非常に不面目なことでしたが、この春ようやく入手することが出来、貴重室の書架に収まりました。

半月は帰朝後母校の教壇に立ちヘブライ語の講義等を担当しましたが、他方図書館学の権成としても名高く、デューイの十進分類法を紹介し、前号に紹介された小西増太郎氏と協力して同志社図書館の基礎をかため、又京都図書館(府立)館長としても多くの業績を残しました。第10代及び12代の同志社総長であった湯浅八郎は半月の甥(前記治郎の子)に当ります。

半月は又もう一つ大きな記念を同志社に残しています。それは、彼が新島家の家紋である根堀の笹を単純化して作った同志社の徴章です。白秋の作詞になる学歌によって三つ葉のクローバと思い込まれているようですが、最近このデザインに関する資料が発見され、その由来がはっきりしました。その資料は同志社社史史料編集所(注:同志社社史資料センター【2006.11.1現在】)に所蔵されています。

「びぶりおてか」同志社大学図書館報3号(1968.7.1)より抜粋