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その他(和書・踏絵)

山本覚馬『管見』

山本覚馬が慶応4年5月野沢鶏一に口述筆記させた建白書。原本を栗原只一、醍醐忠順(慶応4年8月)、島津久徴の順に筆・転写したもの。 和紙仮綴じで縦24cm横17cm、本文22丁である。表紙に「山本覚馬建白」とあり、裏表紙に「会津藩山本覚馬建白也自栗原只一借得令写了 薩藩江囚中云云 慶應四戊辰年八月十五日 忠順」「右再借写之了 明治二巳巳年六月 久徴」と墨書されている。

従ってこの写本は久徴が明治2年6月に写本したものである。

この建白書を作成した山本覚馬(1828-92)は会津藩士でありながら眼病のために戊辰戦争に参加できず、薩摩軍に捕らえられ上京の薩摩屋敷に幽閉されていた。眼病のため書物を読むことも、文章を書くことも不可能であった。

幽囚のみでありながら当時の時勢について苦慮し、私心を離れ、新政府が国家不易の国是を立て、新制度を採用し速やかに国家を安定できるよう願って建白したのがこの「管見」である。この建白書は獄舎に起居していた会津藩士野澤鶏一に筆記させて、薩摩藩主に差し出された。差し出された日付については写本に辰3月、辰5月および6月(慶応4年戊辰)とあるから慶応4年3月が正しいものであろう。

「管見」の内容は政権・議事院・学校・変制・撰吏・国体・建国術・製鉄法・貨幣・衣食・女学・平均法・醸酒法・条約・軍艦国律・港制・救民・髪制・変佛法・商律・時法・暦法・官医の23項目にわたり山本覚馬の意見が述べられている。

山本覚馬は釈放後、その知識が重視されて京都府の顧問となり、京都府の新しい施政に非常に貢献した。また明治8年新島襄およびデービス博士と共に同志社を創立し、新島の死後同志社総長にもなった。また初代府議会議長をつとめた。

「びぶりおてか」同志社大学図書館報32号(1982.10.1)より抜粋