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その他(洋書)

The History of Japan… 『日本誌』(英語版)

ケンペル(Engelbert, Kaempfer 1651-1716)はドイツのウェストファーリアの小村レムゴーに生まれました。少年の頃から東方への関心を抱き多くの旅行記を読んでいたようです。青年時代、ダンチヒ、クラカウ、ケーニヒスブルグなどの大学で、哲学、歴史、博物学、医学を修め、語学も古典語のみならず、英、仏、蘭、露、ポルトガル、スエーデンの各国語を学びました。彼の生涯の目標は、探検旅行家となることであり、これらの学問はそのための準備でもありました。1689年、ジャワのバタビアにあるオランダ東インド会社に医師として赴きましたが、適当な地位が得られず、長崎出島のオランダ商館の医師を勧められて、1690年9月(元禄3年)に来日しました。ケンペルは2年1ヶ月余り日本に滞在し、その間、2度の江戸参府を行い、将軍綱吉に謁見しています。1692年10月日本を離れ、郷里レムゴーに帰った後、ケンペルは東方旅行中に得た資料や手記の整理、執筆に努力しましたが、一方では領主リッペ伯の待医として時間を奪われたり、夫人との不和に悩まされたり、3人の子供に先立たれたり、不幸な晩年でした。

今回紹介するケンペルの主著「日本誌」(The History of Japan)は、最初イギリスのスローン卿によって刊行されました。スローン卿は学者、探検家であり、後にロンドンの王立学士院長になった人ですが、蒐集家としても有名でした。彼の集めた文献類が、大英博物館の蔵書の基礎になったと言われています。

スローン卿はケンペルの残したぼう大な資料の中から「日本誌」の原稿を整理し、スイス人ショイツエルという青年医師に、英訳を依頼し、1727年に本書を出版しました。英語版に次いで、オランダ語版(1729)、フランス語版(1729)が出版されましたが本国のドイツ語版は1777~1779年に至ってようやく完全な形で出版されました。図書館所蔵(ケーリ文庫)のものは1728年刊の英語版です。本書内容は日本の風土、自然、地理、動植物、地下資源、さらに日本の風俗、宗教、社会、政治、歴史などについての観察、報告ですが、ケンペルはこれを詳細に、また正確に記述しています。この中で特に注目を引くのは、ケンペルの日本鎖国政策擁護の立場で、これは要するに当時の日本の置かれた国際的環境下ではむしろ賢明な政策であったというものですが、この箇所は早くから関心を集め「鎖国論」として部分訳が行われました。(1801年志筑忠雄訳)

日本についての著書、例えば有名なカロンの「日本大王国志」、モンタヌスの「東インド会社遣日使節紀行」(いずれも図書館ケーリ文庫所蔵)などを参照したとケンペル自身「日本誌」の中でことわっていますが従来の著書に比べて、いわゆるカソリック的見地から解放され、西洋とは別の一つの文明圏としての日本を据えているのが本書の特徴です。

18世紀以降、ヨーロッパ人が日本のことについて述べる場合、必ずと言っても良いほど本書のおかげを蒙っているようです。モンテスキュウーの「法の精神」の中の日本の項、ヴォルテールの「諸風俗論」の中の日本事情、カントの「永久平和論」における日本の鎖国政策への論及などはその例です。このようにケンペルの「日本誌」は、130年後シーボルトの大著「日本」(ケーリ文庫所蔵)が現れるまで日本研究の基礎となりました。

なお図書館所蔵のものとしては英語版(ケーリ文庫所蔵F291.09;K8-2a)の他に、今井正訳「日本誌」(291.09;K8-2)、斉藤信訳「江戸参府旅行日記」(291.09:K8)(部分訳)、異国叢書第6、7巻所収の「ケンプェル江戸参府紀行」(210.5;I-1a)(部分訳)があります。

「びぶりおてか」同志社大学図書館報35号(1984.4.1)より抜粋