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その他(洋書)

Таo―те―кингъ, или, Писанiе о нравственности

日本人として初めてトルストイと親しく交った人に小西増太郎(同志社交友)がいます。当時彼はキエフ神学校に学び、トルストイの厚い信頼を受け、トルストイ邸では老子、孔子、孟子の講義をし、トルストイの東洋理解を大いに深めたものと思われます。ここに紹介する図書は、モスクワ滞在中の小西が、モスクワのロシヤ帝国図書館所蔵の4種の支那原本から老子を露訳して1894年に「Lao-si. Tao-te-king, ili Pisanie o nravstvennosti」と題して「哲学と心理学の諸問題」誌に発表したものを、発表後トルストイの積極的な訳文訂正の協力をえて1913年になって、同書名の下に「Pod redaktsieī L. N. Tolstogo : Perevod s kitasīkogo D. Konissi Primechaniia S. N. Dorylina Moskva 1931」と附記してモスクワで出版されたものです。

最近の朝日新聞(昭和42年12月8日号)に早稲田大学の木村毅氏が「読書日記」でこの図書にふれておられ、それによると、この序文はトルストイの「老子論」として有名なもので、原本のトルストイ全集のどの版にも省略されており、日本でも誰れも見たことがなく、氏も50年来それを探しておられた様子です。またこの図書はトルストイ博物館にも1冊しかない天下の稀書だとも述べておられます。まさにトルストイ研究に欠くことの出来ない貴重な資料と考えられます。

なお、故国に帰った小西増太郎は、社会評論家、哲学者となり、京都や東京の大学で教鞭をとりました。その間わが同志社大学図書館にも主任として大正初期に在任し、図書館の近代化のために重要な働きをしています。また、野球評論家小西得郎氏の尊父にあたる人でもあります。

「びぶりおてか」同志社大学図書館報2号(1968.2.1)より抜粋