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その他(洋書)

約翰伝福音書(ウィーン版)

ベッテルハイムは、聖書の一部を始めて和訳したギュツラフの影響を受けており、ギュツラフ訳「約翰福音之伝」(1837、天保8年刊)と、ベッテルハイムの琉球語訳「約翻伝福音書」とを比べてみると、ロゴス(コトバ)を「カシコイモノ」と訳したこと、又、全文カタカナを用い、字間をあけたりするところは、まったく同じである。しかしGodをギュツラフは「ゴクラク」としているが、シャウテイ(上帝)とするなど、かなり進歩していると言われている。このウィーン版のものは、Godは「神」と改訂されており、霊は「たま」、主は「ぬし」、聖霊は「聖神」、洗礼は「あらいれい」、聖書は「経」、十字架を「はりつけ」「じうもんじはり」……等々、かなり標準語に近く、わかりやすい。しかし、イエスを「えそ」、ヨハネを「ヨハン」、ユダヤを「よた」、復活を「いきかえ」、めぐみを「おんげい」にするなど、一部に琉球語が残っている)ギュツラフも。恵みを「オンゲイ」にしている)。

本書が出版された時、たまたま岩倉具実が欧米旅行の途上、パリに滞在しており、英国聖書協会が「約翰伝福音書」を進呈した。一行の中の若い日本人が聖書について、いろいろ意見をのべたため、同協会では、ひきつづき「路加伝福音書」「使徒行伝」を出版することにしたというが、この青年こそ、留学中のアメリカから岩倉大使一行の通訳として同行していた新島襄である。新島襄書簡集によると、父君にあてた手紙の中に書名こそ記されていないが、「……琉球島に在留して日本語を学び候者の譯シたる書物にして所々に少シの間違など有之候得共日本人の助なくして如欺も日本文を綴リシは実に驚くべき事なり……」と同封され送られてきたのは「約翰伝福音書」であったのではないかと思われる。

なお、本館には、前途の琉球語訳「約翰伝福音書」「路加伝福音書」「聖差言行録」「保羅寄羅馬人書」(1855、安政2年)香港版の復刻も所蔵しており、神学部研究室には、ベッテルハイム訳、漢和対照路加伝福音書(香港、1858刊)の原本を所蔵している。

参考文献
  • 近代文学研究叢書 第1巻 昭和女子大学編 光葉会刊
  • 日本聖書協会百年史
  • 聖書の和訳と文体論 藤原藤男著 キリスト新聞社刊

「びぶりおてか」同志社大学図書館報25号(1979.4.1)より抜粋
東國宇院城阿度留布保 流都方前版摺屋藏活字→「ウィーン(Acterreich Wien)アドルフ・ホルツハウゼン(Drhck von Adolfs Holzhauzen)出版所」の意

東國宇院城阿度留布保
流都方前版摺屋藏活字

「ウィーン(Acterreich Wien)アドルフ・ホルツハウゼン(Drhck von Adolfs Holzhauzen)出版所」の意
タイトルページ

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明治6年癸酉新著

明治6年癸酉新著